こけこっこー

まず、前提に今から綴る内容は全て嘘偽りのない話である。確かに信じにくく、まだカボチャの馬車に乗って舞踏会に出かけてきた、とか言った方が信憑性があるとは思うが、それでも嘘偽りはないと信じてほしい。

昔の偉い人は言った「事実は小説より奇なり」と。

 

まず、私はいわゆる所のママチャリというものに乗って帰路についていた。国道16号線かは1本内に入った住宅街の隙間を通る道を“キャノンボール”でお馴染みのマーク・カヴェンディッシュのごとく爆走していた。すると、突然目の前に赤く厳かなトサカを生やし、我ここにあり、と言わんばかりに堂々とした姿でいるニワトリが現れたのである。

 

21世紀の情報社会の申し子である私はとりあえず、そのニワトリを写真に撮り、なぜ千葉県の国道をひとつ入った道にニワトリがいるのかを考えた。

オワコンと同じ思考回路なのは不名誉なことだとは重々承知しているが、四国や島根などではない。外国では日常茶飯事で親の顔よりもニワトリを見る回数の方が多いなんてことはありそうだが、ここは千葉県船橋市。千葉県内で2番目に人口の多いベッドタウンだ。普通に考えてニワトリがいるはずもないが、事実は小説よりも奇なりだ。何が起こっても変じゃない。こんな時代さ。覚悟は出来てる(es)

 

まず、ひとつとして幼女が泣く泣く捨てた可能性であろう。

幼女は雨の日、ピンクの傘をさし黄色の長靴を履き透明のレインコートを着て幼稚園から家に向かってあるいていた。そうすると、どこから頼りなく弱った声で「こけこっこー」(田中皓子ではない)と聞こえてきた。幼女は声の聞こえる方向に向かったらダンボールの中にまるで失恋したヒロインのごとくずぶ濡れになったニワトリがいたのである。

幼女は心優しい。なぜならば、幼女だからだ。 その幼女は濡れたニワトリを抱き家まで走った。

 

幼女は濡れたニワトリを家まで連れて帰ったが、そこからは何をして良いかわからなかった。なぜならば、幼女だからだ。

とりあえず、手洗いとうがいをして恐る恐る、ニワトリをタオルで拭いた。最初はドライヤーの方が良いかもと思ったが、ドライヤーのある棚には幼女の大きさでは届かずタオルに妥協した。20分もすると母親が帰ってきた。お母さんに説明したが、ここのマンションは動物禁止であること。ニワトリの飼い方なんてわからないこと。アメリカ人のお父さんが間違えて感謝祭の日に丸焼きにして食べてしまう危険性があることなどから、この家で飼えないと説明されたが、幼女は納得出来なかった。なぜならば、幼女だからだ。

納得はできなかったが母親の言う通りにしないと怒られてしまうかもしれないので、元々いた所に返しにいった。

雨はやみ、思わずむせてしまうようなコンクリートの匂いを嗅ぎながら幼女はニワトリを抱え公園に返した。

ニワトリを置き背中を向けると「こけこっこー!」と大きな鳴き声が聞こえた。幼女は思わず振り返ると、そこにはニワトリはもうおらず、虹がかかっていた。(ここで君と虹と太陽とがかかる。)

 

なんて、私の妄想を炸裂させたが、この可能性は極めて低いだろう。なぜならば、私の考えた妄想だからだ。

 

ふたつめの可能性は今回は書くのをやめようと思う。少しばかり飽きてしまった。

 



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