あじさい通り
雨降り続くよ あじさい通りを
カサ ささずに 上向いて走ってく
全部 ごちゃ混ぜにする 水しぶき
バイトの帰り道、ポケットの携帯が揺れた。用事がある時だけ自ら動くことが出来る携帯は私の対人関係に似ている。ポケットから携帯を取り出すと画面に水滴が弾けて雨に気づいた。長袖長ズボンでは気づかない程度の雨だった。通知を確認するのが億劫になり携帯をポケットに隠して上を向いて歩いた。トートバッグに忍ばせてあったカサをさす程の雨量ではなかった。この、ポツリポツリと降る雨が私の眼球に入る確率はどのくらいだろう。ポツリポツリとしとしとは何が違うんだろう。30歩くらい歩いたところで上を向くのをやめた。頬に何粒か落ちた雨は私を泣いているように化粧をした。乾いた瞳からは全く想像できないくらいに。雨が眼球に入る確率よりも遥かに低い確率の恋をしている。数学をまともに学ばなくて良かった。この恋の確率を導きだせたら、叶う確率が微かに確かに存在することに気づいてしまったら、パレットの上の感情を綺麗になると信じて混ぜた真っ黒なものに直面してしまう。
いつも笑われてる さえない毎日
でも あの娘だけは 光の粒を
ちょっとわけてくれた 明日の窓で
その娘がくれる言葉には全て丁寧に包装がされていた。受けったその時は嬉しくて仕方がなかった。幸せに形があるのなら、この包装がきっとそうだろうと信じてしまうくらいに丁寧で繊細で美しかった。こんなに美しいなら、きっと中身はとんでもないくらいに美しいのだろう。私はひとつひとつのシールを剥がし、リボンを解き、紙をめくった。ようやくたどり着いた箱を開けると何も入っていなかった。ひとつ、何かをくれるともっともっと欲しくなってしまう。次の言葉には想像できないくらいに綺麗な何かが入ってるに違いないと言葉を求め続けた。その気力が私の明日を作り彩った。
だから この雨あがれ
あの娘の頬を照らせ ほら 涙の数など忘れて
変わらぬ時の流れ はみ出すために切り裂いて
今を手に入れる
全ての恋はアクションにより産まれる。そして、全ての恋はアクションにより成長する。そのアクションを起した瞬間に犯罪が成立する。そんな事に気づいたのは1年が経った頃だった。ただ、私が居て、ただ、その娘がいる。それだけの幸せじゃ物足りなくなった。私の幸福追求により、誰が不幸になる。そして、その誰かが自分が好意を寄せているひとになる。道徳の授業なんて受けなければ良かった。そうしたら、私はもっともっと幸せになれた。私の猛スピードの幸せに轢かれて泣いている人の数も気に止めるなんてしなかった。
携帯を濡らした雨は知らぬ間にやんでしまった。雨は濡らした土地への責任を一切負わない。私はこの無責任さが羨ましい。
愛と言うよりずっとまじめなジョークで
もっと軽々と渡って行けたなら
嘘 重ねた記憶を巻き戻す
「基本的に本当のことしか言わないのにすき!は全然信じてもらえないのかなしいなあ」
だって信じることは間抜けなゲームと
何度言い聞かせたか迷いの中で
ただ重い扉 押し続けてた
あじさいが咲くと梅雨になるのか、梅雨になるとあじさいが咲くのか未だによくわかっていない。どれだけ雨が降っていろうとも、あじさいが咲いていなければ梅雨を実感できない。あじさいは紫陽花と書くよりもあじさいと書く方が好きだ。私から発せられた「あじさい」に字幕をつけるなら全て平仮名にして欲しい。
私は頭の中で薔薇を思い浮かべる時は赤い薔薇を、菊を思い浮かべる時は黄色の菊が出てくる。同じようにあじさいを思い浮かべる時は自然と水色と紫、その両方が出てくる。あじさいを紫陽花と書いてしまうと紫だけになってしまうようで寂しい。
だから この雨あがれ
あの娘の頬を照らせ ほら 寄せ集めた花抱えて
名もない街でひとり 初めて夢を探すのさ
今を手に入れる
頭の中で薔薇を思い浮かべると赤い薔薇が、菊を思い浮かべると黄色い菊が出てくる。頭の中で花を思い浮かべる時に、枯れた花が出てきたことは一度もない。あの娘が抱えた花束の中に枯れた花は一輪もない。枯れてしまった存在はするけど認識はされていない花はいったいどこへ消えてしまうのだろう。
私は自分の形がわからない。頬に雨粒が落ちて、自分に頬があることに気づく。繋いで伝わった温もりから手があることに気づく。幸せになりたいと思った時、私が手に入れた今が欲しかった今じゃないと気づく。私は今、どんな形をしていますか?