輪郭を描いてくれたあなたへ

拝啓

 

ご無沙汰しております。

 

お元気でしょうか。私が最後にあなたの姿を拝見したのは半年以上も前になってしまうんですね。まだまだ寒さを感じながらも桜の開花を待ち望む人々の希望に似た何かに当てられて鬱々としながら難波の公園でうだうだとお酒を頂いていたのを覚えています。

 

さて、本題ですがあなたが書き上げた『アイドル失格』、拝読しました。正直、今でもよくわかっていません。これは本の内容もですし、自分の気持ちの落としどころもです。

 

恋を言葉にするとはどのような営みなのでしょうか。言葉にするというのは物事に輪郭を与えるという行為です。ベタな話になりますが、例えば“肩こり”という言葉を知らないひとは肩をこることはありません。なぜなら、肩をこっている状態がわからないからです。何かのきっかけで“肩こり”という言葉を知って、それがどのような状態なのかを理解して、ようやくその人は肩をこるのです。正確には、自分が肩をこっている(またはこっていない)ことに気づくのです。


私が『アイドル失格』を読む前に楽しみにしていたひとつめの点がこれでした。あなたがどのような言葉を用いてどのような状態のことを“恋”と定義するのかです。あらすじの時点で“禁断の「アイドル×オタク」恋愛小説”とありましたし、恋が物語の主軸になっていることは明確でした。私が恋をしていた相手の恋の定義なんて気になるに決まっています。

 

ケイタ(本作の主人公。ガチ恋しているDカス)の言い分は物凄くわかりました。アイドルのことをアイドルとしてではなくひとりの女性だと思ってしまっていること。自慢ではありませんが、私にもガチ恋の経験があるのでとてもよくわかります。彼女が見せてくれているのはアイドルとしての彼女なのに段々と線引きが曖昧になっていき、私が見ている彼女はペルソナを脱いだ彼女なんだと錯覚してしまうのです。見に覚えがありすぎて、傷口に塩を塗られている気分でした。ケイタの恋は好きの延長線上にあるものでした。誰かを好きになって、誰かが自分の人生の中心にある状態。それを恋だと認識していました。

 

対して、実々花です。この物語は実々花がケイタのアルバイト先に訪れるシーンが一つ目の転換点となっています。アイドルでありながら自分を推しているオタクのケイタに会いに行く。この動機は恋愛感情に基づくものではありませんでした。元からケイタの価値観などにシンパシーを感じていましたが、それが恋愛感情とは結びついてはいません。実々花は進路のことで母親ともめてしまい自暴自棄になっていました。この時、実々花は母親は私のことをわかってくれないと思い、私のことをわかってくれるのはケイタだと思い、アルバイト先に向かったのです。

 

二つ目の転換点は「テトラファン感謝祭」です。テトラとは実々花が所属しているグループのことです。この感謝祭とは名ばかりのもので、実際は総選挙のようなものでオタクの札束によりグループのセンターが決まる催し。実々花は2年連続1位でデビュー以来ずっとセンターでした。今年も1位になれるだろうという油断で実々花は3位(テトラは4人グループ)になってしまいます。実々花はもちろん落ち込んでしまい、家のベッドでエゴサーチをしていました。慰めてくれるオタクのツイートは目を滑っていく中で実々花の心を刺したのはケイタからの長文のDMでした。内容は一貫して実々花のことを肯定・承認するもので、実々花はそれを読んで“胸の支えが取れたみたいに涙がボロボロと溢れ”たのです。

 

つまり、実々花にとっての恋とは“承認”だったのです。幸福な人々や親のような体制側の人間は私を理解してくれないと嘆きながら孤独を感じ、そんな暗闇の中で一筋の光になっていたのが私のように満たされていなくて生きづらそうなケイタだったのです。そしての、その光は私を私だけを照らしてくれるスポットライトのようなものでした。

 

昨今、自己肯定感なる言葉が猛威を振るっておりますが、私はそんなの存在しないと思っています、自分のことを認め、信じぬくことは不可能とまでは言いませんが困難であり、誰しもができるものではないです。人間は社会的な生物であり、多くのひとは他の人間と関わりながら生活しています。そして、そのなかで人間は往々にして同じ作業を他人と一緒に行います。それは仕事であったり、勉強であったり、運動であったり。そのなかでどうしても得手不得手が判明していき、自分の弱さに向き合ってしまうのです。実々花もそうでした。サヤのようなリーダーシップも萌のような覚悟もあかりのような明るさもないと悲観しています。ケイタでさえ、実々花の魅力を「希望」というひどく曖昧な言葉で表現しています。そんな中で自分に自信を持てという方が難しいでしょう。自分の弱さに向き合い傷ついていくなかで必要なのはそんな自分を承認してくれる他者です。この他者の関係は何でもよく、家族でも友達でも同僚でも恋人でも。大事なのは自分を承認してくれること。そして、自分の崩れていくアイドルとしてのアイデンティティを適切な言葉で崩れないようにしたのがケイタだったのです。ケイタによる強い承認でアイドルとしてのアイデンティティを保ち、それはクライマックスのシーンにも続いていきました。


私がここで注目したいのは、実々花の恋は承認によるものでこれは真に恋なのか?ということではなく実々花の状態です。ケイタは実々花のことをアイドルとしてではなくひとりの女性として好きと言っていましたが、実々花はプライベートの状態ではなくアイドルの状態としてケイタに惹かれていったのです。この差異によってふたりは少しギクシャクしますが、この差異に向き合うことなく物語は進行していき、クライマックスを迎えます。この物語を「切なくも希望に溢れた青春小説」と銘打った意味が最初はわかりませんでした。だってケイタが自分の錯覚に気づかないまま中途半端な恋をするはめになったのに。しかし、実々花にとっては確かに希望に溢れた物語だったと思います。自らを強く承認してくれる存在に出会い、仲間を裏切るような行為をしておきながらも裏切りの片棒を担いだ相手に言わなくても良い事実を告げて気持ち良くなり、最終的に自分の希望する進路を選択する。現役アイドルという立場でアイドルとオタクの恋愛について書くことを面白いと感じてしまう浅はかで厚顔無恥な作者が綴る「希望」だと思えば確かにぴったりだと思いました。

 

私は『アイドル失格』の情報が出た時に強い悲しみを覚えました。何に例えられましょうか。何にも例えなくて良いですね。あなたに理解して頂きたいとは思っていませんから。情報解禁の際にギリギリで自分を保てていたのは、まだあらすじしか読めていなかったからです。全編を通して読めばきっと変わるはず、あらすじの通りに希望があるはずと信じていました。私は希望を見ることができませんでした。全面的な敗北です。もう、あなたを信じるのは無理だなと思いました。この本の感想は良かったとしても悪かったとしても絶対に伝えなければと思っていました。謎の使命感です。勘違いとはこのようにはじまるのでしょうか。それはどうでも良いですね。この本のお渡し会が関東でもあるとこのことで申し込みを行い、無事に当選しました。ここで私はさよならを告げようと思いました。アイドルとオタクの関係というのは歪なものでオタクが会いに行かない限りアイドルに会うことはできず、アイドルからオタクに会いに行くことはありません(その歪さについての話も今作に含まれています)。ですので、私はここで今までの感謝を告げてさよならを告げようと思っていました。本来、そんなことを言う必要は一切ないのですが、嫌みのひとつでも言ってスッキリしたいというのが本当のところです。

 

あなたとお話するのは1061日ぶりでした。毎日毎日数えていたわけではなくコンピューターに計算してもらいました。久しぶりに聞くあなたの声は相も変わらずに甘美で強い煙草を吸ったときのようなクラクラを覚えました。まだ、私のことを覚えていたんですね。人は本当に驚くと半身になることを知りました。横顔が好きだったことを思い出しました。ショートカット、とても素敵でした。いつ髪の毛を切ったんですか?そんなことすらもわからなくなってしまいました。いざ、あなたを前にして私は何を言えば良いのでしょうか。どのような顔をすれば良いのでしょうか。存在しない答えを探してしまうのは私の悪い癖です。声が上ずっているのを感じて少し恥ずかしくなります。私の声を上ずらせる、たったひとりの人。そろそろ、決められた時間が終わるのを予感し、話を終わらせようと思いました。ここで、さよならを告げるのです。悲しい顔をしてくれるのでしょうか、引き留めてくれるのでしょうか。嘘でも良い。そのような顔をしてくれたら今まで真剣に恋をしてきた私が報われるのです。追いかけ続けた恋を最後の最後に追われることで終わらせる。陳腐なプライドと器の小ささをどうしようもなく感じてしまいます。言葉は決めていました。「今までごめんなさい。さようなら」です。自分の数多くの奇行を謝罪し、別れを告げる。この上なく完璧なプランです。あとは言葉を発するだけでした。ここに来るまでに頭のなかで数えきれないほど詠唱してきたのに、実際に口から出た言葉は「ありがとうございました。幸せでした。」でした。精一杯の嫌みを込めた“今まで”すらも言えませんでした。私の言葉を聞いた時、あなたはどのような顔をしていたか覚えていますか。私は忘れてしまいました。どのような顔で、どのような声で、どのような気持ちで、そんな私に「ありがとう」と告げてくれたのでしょうか。

 

『アイドル失格』を読みながら本当に色々なことを思い出しました。それは良いことも悪いこともです。私は劇場で踊るあなたが大好きでした。他の15人よりも圧倒的な輝きを放っていました。秋元康の言葉を借りるなら“夜空に輝く数多の星から大事なひとつを今なら指させる”です。握手会の時のあなたは正直あまり好きではありませんでした。あなたは私の欲しい言葉を全て与えてくれました。そして、私はそれを素直に喜ぶことはできませんでした。私はアイドルというペルソナを脱いだあなたとコミュニケーションがしたかった。それでも、あなたは頑なにそのペルソナを脱がずにエンターテインメントを提供してくれました。その言葉を信じ切ることも、馬鹿のふりして楽しむこともできませんでした。今思えば、それはあなたのプロ意識だったのでしょうか。盲目的になっていた私は気づけませんでした。ごめんね。上記の通り、私はあなたのことをひとりの女性として好意を抱いていました。それも本当に厳しかった。私は幸せになりたかった。そして、幸せになるためにはあなたが必要でした。あなたと一緒に居ることを私の生活にしたかった。これは本当の気持ち。ただ、それと同じくらいアイドルとしてのあなたも好きだったのです。もし仮に色んな偶然が折り重なり何かがあったときにあなたがアイドルでいられなくなることが本当に怖かったです。私の気持ちのせいで好きなひとの人生を無茶苦茶にしてしまうのが怖かった。この八方塞がりでどうしようもない自分の気持ちの折り合いの付け方が一切わかりませんでした。狂いそうになる毎日の中でパンデミックが始まり多重の意味での距離が生まれたのが本当にありがたかった。ギリギリのラインで狂わなくて済んだ。

 

『アイドル失格』を読み終わった時、私は作者(つまりあなた)がこの物語を通して何を伝えたかったのかさっぱりわかりませんでした。ケイタと実々花の中途半端な行為の意味すらもわかりません。それもそうだと思います。だって恋に意味なんてありませんですから。気づいた時には好きになっていて、どうしようもなくて、理屈ではわかっているのに理屈だけでは意味がない。それが恋なのではないでしょうか。私はこの本を通じて恋をしていたことを本当に意味で思い出しました。1061日の間、本当に色んなことがありました。あなたを思って発狂しそうな日もありました。あなたを忘れようと必死になった日もありました。彼女が居た時期もありました。体温の温かさにびっくりした日もありました。大学1年生だった私は大学4年生になりました。高校3年生だったあなたは大学3回生になりましたね。就職先も決まりました。卒業論文はまだ一行もかけていません。本当に色々なことがありました。色々なことがあるなかで変わらないこともあったのです。私の恋の輪郭です。私の恋の輪郭はあなたが描いてくれたものでした。輪郭だけが定められて空っぽの中身をあなたに彩って欲しいと願ってしまうのは流石に愚かだと笑ってくれるでしょうか。私はもう少しだけ自分の愚かさと向き合ってみようと思います。こんな感想文はあなたが求めていたものではないでしょう。こんなものはYouTubeのコメント欄で自分語りをしているやつらと一緒です。それでも、私は書かずにはいられませんでした。あなたが『アイドル失格』を書いたように。

 

私はまだ、あなたにありがとうもさようならも言えません。なので、せめてこれだけは言わせてください。大好きです。寒くなるので身体に気を付けて。

 

敬具