I love you and,You love the sea.

バイトが終わり帰路につく。23時。と半分。最寄り駅に到着。家まで歩いて帰る。国道から一本逸れた道に入ると女性4人組が歩いていた。明らかな千鳥足の女性とそれを肩で支え歩く女性。そんなふたりを1歩引いたところから眺めてる女性二人。その4人を包み込む街灯はまるでスポットライトのように彼女たちを映えさせた。とても美しい光景であると同時に私が千鳥足で歩いてる時に馬鹿だなと笑いながら肩を貸してくれる友達のことを思い浮かべてみた。思い浮かべてみようとした。思い浮かばなかった。これがわたしの19年間だ。

 


京都に行った。はじめて吐くまで飲んだ。はじめて路上で爆睡した。はじめて食べた天下一品の味を一切覚えていない。バニラアイスを食べると良いよ教えてもらい自販機でクーリッシュを買った。買ったのか奢ってもらったのかは定かじゃない。河原町から友達の家まで鴨川沿いをひたすら北上した。鴨川の風は火照ったからだにちょうど良く、真夏のソフトクリームのようにゆっくりと溶けてしまいそうになった。ふわふわとしてふらふら歩くわたしを心配に思ったのか友達はわたしと肩を組んだ。忘れてた体温の暖かさ。どうしようもなく嬉しくて泣くのをこらえるためにC.O.S.A×KID FRESINOのLOVEを流して歌った。 見渡すと信頼できる人たちが少しずつ増えてきてる事実。こんなにも明るい夜があるんだと笑顔が止まらなかった。肩を貸してくれるフレンズにグッドミュージックにナイスリバー。ナイスリバーはダサい。肩を貸してくれた友達は現在進行形でオタクをしていて、普通に歩いていた友達はオタクをやめて鴨川の橋の下で彼女にフェラチオされたことがあるとんだFAKE野郎。気づけなかったもの拾い集める今  スローに追いかける背中は仲間。

 

たりないふたりのライブビューイングを見た。見てよかった、楽しかったと思う気持ちと同じくらいの厚さで見なければよかったという気持ちがこころの中を占めていた。ソニーの38マイクを真ん中におき縦横無尽に笑いを取る姿を見て、あぁ、もう無理なんだなと思った。同伴者はあと20年であのふたりに追いつけるのか、あんなカッコイイ40歳になれるのか不安だと嘆いていた。一生無理だと思う。カッコイイ人間は、きっと生まれた瞬間からカッコイイ。この世の何もわからずに泣き叫んでる時からカッコイイ。ダサい人間は生まれた瞬間からダサい。ダサい人間である私は死ぬ瞬間までずっとダサい。幾多の嘘をついてきた口でほんとうのことばを喋り、人々の心を揺れ動かせることができるのはある種のカリスマ性がある。これは努力で獲得出来る能力ではない。

人間はみんながみんな心に“たりない”を抱えている。若い人には若い人の、中年には中年の、老人には老人の、おとこにはおとこの、おんなにはおんなの、ヘテロにも、レズにも、バイにも、ゲイにも、トランスジェンダーにも、クエスチョニングにも、“たりない”はあり、日々格闘している。わたしは自分の“たりない”を克服するための努力してまでこの世界で生き抜こうと思えない。いつもこころのどこかで死んでしまいと思っている。テレビの電源をリモコンで消すみたいにボタンひとつでブラックアウトできたらどんなに楽だろうと思っている。同伴者は漫画の主人公みたいな面をしながら友達が少なく一人減るのは嫌だからもし自殺しようとしていたら全力で止めるけどね。と言ってきた。この人にはどうして人の死を止めるほどの力が自分の中にあると思っているのだろうかと、わたしは心底不思議な気持ちになった。彼が軽んじているのかわたしが重んじているのかはわからない。

 

阿佐ヶ谷のRojiでEMCの江本祐介とシャムキャッツの夏目知幸のトークイベント「你好上海!」に行った。19時オープン20時スタートなのに17時半に阿佐ヶ谷に着いた。駅前のパン屋でカレーパンを購入しファミリーマートでホットコーヒーを。近くの公園を探すと阿佐ヶ谷中央公園という立派な公園があることを知り目指すことに。道中、寺の前にベンチがポツリとふたつありその後ろに竹が生えてる空間を見つけて、わざわざ公園まで行くのも面倒になったので、そこで妥協することに。ファミリーマートのコーヒーはただひたすらに苦い黒汁で深みもうま味も何も無い。ただ、苦いだけ。そんな無機質で機械的なコーヒーを飲みたくなる時がある。カレーパンは可もなく不可もないコーヒー。隣のベンチでカップルがイチャついている。自分の好きな人が自分のことを好きなんて恐ろしい現象を受け入れられるのはどういう気持ちなんだろうな。冬の真似をした秋風が竹を揺らしていた。19時をすぎてRojiの階段を上がると夏目さんの笑い声が聞こえて怖くなって商店街のようなとこにあった古本屋に入った。いつまで、人と喋ることが怖いんだろう。古本屋で「自殺の美学」と名のつく本を見つけ、手に取ると文豪たちの自殺について書いてあるらしい。1200円。少し迷って本棚に戻した。19時半、もう一度Rojiに行くと夏目さんだけでなく女性の笑い声も聞こえた。一呼吸し、入店。チケット代とドリンク代の2000円を払い。一番後ろの一番端の角席を取る。グレープフルーツジュースがやけに美味しい。江本さんは空気階段のTシャツを着ている。どこで買ったのかすごく気になる。Enjoy Music Clubが中国限定で発売したCDを見つけ即購入。わくわく。大学図書館で借りた「ぼくがスカートをはく日」を読み進める。今のところ非常に良い感じだ。イベントの内容は本当に最高だった。最近、沈んでた心が徐々に浮き上がってくる感じが自分の笑い声でわかった。自分が心の浮き沈みが激しい人間だと知っているので、沈んだ時の対処法はわかってる。沈んでる原因を自分から遠ざけて違う娯楽に逃げる。今日のイベントは逃げ場所に相応しかったとすごく思った。江本さんが久しぶりにSMAPが出演してるSoftbankのCMを見て泣きそうになったと言っていたのがすごくわかるなぁと感じた。終演後、EMCのCがワンタンを食っていた。買ったCDにサインして貰おうと思って筆箱からマッキーを取りだし、ポケットに忍ばせたのに忍ばせたままで終わってしまった。なんでこんなにも誰かと話すのが怖くなってしまったのだろう。そんなの決まってる。自分が馬鹿なことに気づいたからだ。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読むまで“ハーフ”が気持ちの良い言葉ではないことに気づかなかった。確かに半分だけで○○人でもう半分は○○人なんて表現が失礼ではないわけがない。とてつもない阿呆な上に人並み以上に努力をしてるわけでもないから、正しい表現、正しくない表現がイマイチわからない。誰かを傷つけずに生きていくなんて無理だし理想を語っていることをわかってる。でも、知らないうちに傷つけてしまうくらいなら誰とも話さずに観葉植物のように意味もない存在になってしまいたいと強く願う。

 

 

 

音楽は最近、Kanye Westの「The college dropout」とVampire weekendの「Modern Vampire of the City」ばかりを聞いてる。日本語詞の曲を聴いてると歌詞の内容がわかりすぎて煩わしく感じてしまいここ一週間くらいで聞くのが苦痛になってきた。幸い英語は抜群に苦手なので英語詞の曲は歌詞の内容が全くわからないから気持ちよく聞くことができる(幸いなのか?)それでもやはり耳は慣れてくるのでぼんやりと何と言ってるかはわかってくる曲もある。“”I love you and,you love the sea“” ここだけで綺麗な詞だってわかるし、この状況がすごく羨ましい。好きな人の本当に好きな物が何かを知ってるってすごく幸せなことだと思う。私はあの海辺よりも甘いチョコよりも好きな人の星空よりも赤いワインよりも好きな物を知らない。わたしの好きな人はいちばん大事なものを胸の奥に隠して即席で作ったクリスピードーナツよりも甘く優しい嘘をプレゼントしてくれる。「自分の愛が愛を生まないようなものだったら、また、愛する者としての生の表出によっても、愛される人間になれなかったとしたら、その愛は無力であり不幸である」これはフロムからの引用。前は無力でも不幸でも好きなんだから仕方が無いと思えたけど、あの時は無力で不幸なことを続ける辛さを知らなかった。街を彩っていた真っ赤な彼岸花は枯れていた。

 

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