ずいぶん変化してきた生活

8月、サークルの合宿で修善寺に行った。先輩の曾祖母の家があり今は誰も使っていないらしい。期待が3割、恐怖が7割の状態でハイエースに乗り込んだ。男2人、女7人。名前のわかる先輩2人、名前のわからない先輩6人。同級生0人、先輩8人。期待が2割、恐怖が8割。運転してくれる先輩がハイエースの車体の大きさになれず首都高で煽られた。期待が1.5割、恐怖が8割、諦めが0.5割。

 1日目の夜。居間と客間を仕切っていた襖を外し、そこにあるだけの布団を敷いて雑魚寝するシステム。いちばん端を死守。寝返りを打って目を開けた先にいるのは寝顔の女性。薄い眉毛、朱色の唇、口から逃げていく二酸化炭素。死んだように綺麗に眠っていて、そのどれかひとつでも欠けてしまったら本当に死んでしまいそうで怖かった。もう一度、最小限の動きで寝返りを打って反対側の闇を眺めた。先輩達がしりとりをしていた。カッコイイ片仮名単語と縛りをつけてしりとりをしていた。カッコいいかカッコよくないかの判断は先輩たちの主観らしい。基準が曖昧なので「ドムドムバーガー」がカッコいいかカッコよくないかで揉めていた。「ドムドムバーガー」はカッコイイに決まっている。

深夜4時。ようやく全員が眠った。誰かがいびきをかいている。私は玄関から自分の靴を持ってきて裏口から外に出て散歩を始めた。半袖短パンでは耐えきれない寒さで鼻水がずっと垂れていた。

家の目の前には修善寺川という一級河川が流れていた。私の家の近くには川がないため近所に川がある環境がとても新鮮で、水の流れる音が雨がコンクリートに打ち付けられる音と似ていることをこの時に学んだ。川上に向かって歩いていると、すごく知ってる、感覚的にわかる音がした。竹林の音。竹が風にゆらされてぶつかり合う音を聞いて好きな人の好きな花の香りを浴びた時のように心の奥底からじんわりと暖かくなった。 この合宿で辛くなった時に備えていつでも竹林の音を聞けるように録音しておこうと思ってiPhoneで録音をしたけれど、安心できる音を録ることが出来なくて諦めた。自分の安心できるものが発達したiPhoneでも残せないものだと知って少しだけ嬉しくなった。

 帰り道、イヌを散歩してる老人に遭遇した。人の声を聞きたくなって「こんばんは」と挨拶した。老人は標準装備の笑顔を作って「おはようございます」と返してきた。私にとっての深夜が老人にとっての早朝になり、同じ時間を過ごしているのに違う時間を過ごしているようで無性にワクワクした。パラレルワールドに来てしまったみたいだと。

 

次の日、海に出かけた。とても綺麗だと言われている下田の海を目指した。WINDING ROADばりに曲がりくねった道を行き続け2時間ほどで到着した。夕陽が海に沈む所が綺麗に見えると言われて向かった下田の海は霧雨が降っていて夕陽どころではなかった。水着に着替えるわけでもなくズボンの裾をめくって軽く海の中に入った。想像以上でも以下でもなくちょうど冷たい海だった。先輩の中のひとりがぼーっと海を眺めいた。水平線の奥を見つめるような真っ直ぐな眼差しと半開きの口のアンバランスさが惹かれてしまい何も言わずに写真を撮った。シャッター音で気づいた先輩は僕に向かって笑顔でピースをした。訂正します。僕のiPhoneに向かって笑顔でピースをした。これが正解。ボタンを押してシャッター切った。

 衝動的に砂浜にLOVEと書きたくなった。足の親指を使ってLとOを書いたところで波に流され私のLOVEは消えてしまった。何も無かったことにされてしまった砂浜を見たら、洗濯機が洗濯をするためだけに生まれてくるように私は砂浜にLOVEと書くためだけに生まれてきたのではなかろうかと強烈な使命感に駆られて、急いでLOVEと書いた。書いたものの特にこころが揺れることはなく直ぐに波に流されてしまった。何がしたかったんだろうと周りを見渡すと水を掛け合ってたり砂山のトンネルを開通させようと必死になってる先輩たちがいて、もし高校生の時にちゃんと勉強して友達を作って恋愛なんかして修学旅行に行ってたらこんな風に砂浜で遊べたのかな。なんて、あるはずもない世界の私のことを想像した。誰もいない教室でチャイムと同時に渡された課題を無視して読書するようなことにはなってなかったのかなと思った。あの時読んだ江國香織の東京タワーは今でも大切に本棚に隠してある。楽しいが7割、悲しいが2割、後悔が1割。

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