ひとりずもう

「晴れていても曇っていても雨が降っていても、赤くても青くても黒くても、それは全部「空」であり、それぞれに良さがあります。どんな時でもあなたらしい良さがある人になって欲しい。そんな願いを込めて泣いてるあなたに「空」と名付けました。」

 

小学四年生の時に2分の1成人式という行事があった。成人式の2分の1、つまり10歳になれたことを喜びをみんなで分かち合いこれからも毎日を積み重ねていこう。そんな感じの行事だったと思う。グダイテキに何をしたのかは覚えていないが多分合唱曲を歌ったり「将来の夢」についての作文を書くぐらいのありきたりなやつだったと思う。私が何をしたのかは覚えてないが、私が何をされたのかはハッキリと覚えている。母親からはじめて真剣な手紙を貰った。当時は何も感じなかったが、極度の丸文字である母の字が少しだけカクカクしているのがわかり、あぁ緊張してたんだろうな。なんて思った。

 それまで、私は自分の名前がそんなに好きではなかった。「空」「陸」「桜」などの名前が普通名詞な人あるあるだと思うのだが、子供の頃に自分の名前でイジられることがある。私の場合は「ソは青い空~♪」と突然意味もなく歌われたりした。そんな取るに値しない些細なことなのに無性に腹が立って仕方がなかった。なんで「ショウタ」とか「カズキ」みたいな普通の名前にしてくれなかったんだろうと普通という概念が存在すると思ってた私はよく考えたりした。親に名前の由来を聞いてみると「生まれた時の空が綺麗でお前にもそんな感じになって欲しかったから」と言われ、鏡の前に立つのが怖くなった。

 中学生の頃、何もかもが嫌になって死のうと思いホームセンターで購入した黄色と黒のシマシマのロープを持って近くの竹林に行った。手頃な竹を見つけ不器用なうえにかじかんでいる手で頑張って結んでいた所をタケノコ狩りをしていた老人に見つかり走って逃げた。14年間で経験したことの無い量の冷や汗をかき、この世には愉快な汗と不愉快な汗があることを死のうとした日に新たに学んだ。その夜、布団の中で自分が死んだ後の世界をシミュレーションしたら、どんな世界線でも引っ越しはマストでするだろうなとわかり翌日は自室の掃除をした。いるもの・いらないものでわけるのではなく片っ端から捨てていけば良いだけだからとても楽だった。引き出しの中の教科書。短くなった鉛筆。長い鉛筆は妹のために取っておいた。教科書、ノートを縛り終え、最後にファイルに取り掛かろうとしたが、死ぬための準備をしてるのにも関わらずファイルの中身を確認し懐古に勤しんだ。枝豆の観察日記や音読カードがあり、その中に2分の1成人式の時の手紙を見つけた。内容なんて覚えていなかったので暇つぶしで読んでみた。

 

「晴れていても曇っていても雨が降っていても、赤くても青くても黒くても、それは全部「空」であり、それぞれに良さがあります。どんな時でもあなたらしい良さがある人になって欲しい。そんな願いを込めて泣いてるあなたに「空」と名付けました。」

 

フレシノがリューゴイシダのワンラインに救われた感じで私は母親のワンラインに救われた。好きか嫌いで聞かれたら嫌いと答えていた自分の名前がいちばん大切なものになり誰にも譲りたくないものになった。このたいせつな名前でもう少しだけ生きてみたいと素直に思えた。縛った教科書を引き出しに戻し、新しい鉛筆を削った。ドクターグリップしか使ってなかったのに。

 

好きなアイドルに唐突に「空くん」と呼ばれた。教えたことがなかったので純粋に怖くなりどこで知ったのかを聞いたら手紙に書いてあったからと教えてくれた。それから度々、私のことを名前で呼んできた。好きな人に自分の名前を呼ばれると照れくさくて恥ずかしくて、どうしようもないくらい嬉しかった。それと共にどんどんと辛くなった。イキナリ、自分のパーソナルであり、いちばん大切にしてる所に踏み込んできたので好きなアイドルのことを自分の生きてる世界の住人だと勘違いしてしまっていた。お金を払わないと会えないし喋れない人が自分の世界の住人なわけないのに。それから壊れていくのは早かった。好きな曲を見つけたらシェアしたり、好きな本があったら伝えたりと何かしらのコンテンツを利用して自分の世界と好きな人の世界が同じであることを確かめようとした。死んだ世界なら同じなのでは思い地獄について勉強したりした。その結果、俗説ではあるが女性は三途の川で初恋(または処女喪失)相手に手を取られ、川を渡るらしく地獄ですら一緒になる望みがないことに深く絶望したりした。これ以上、幸せの最適解を模索しても見つからないだろうと思い、違う生き方にシフトチェンジしてみたが喜怒哀楽の8割が消えて目の前の出来事を消費するだけの人型ロボットになった。シフトチェンジしたからって好きなアイドルへの思いが消える訳では無いし、むしろ積もる一方だった。

 為す術がないと途方に暮れていた時、一週間のうちに四度も好きなアイドルが登場する夢を見た。一度目は絶望し二度目は涕泣し三度目は何も感じなくなり四度目で諦めた。きっと、これから先の人生で一週間で四度も夢に出てくるほど好きになれる人なんていない。気が狂うほどに好きになってしまったら、もう彼女から、彼女の呪いからは逃げられない。勝手に好きになって勝手に手紙を送って勝手に辛くなって勝手に呪いだなんだ言ってるなんて傍から見ればただのひとりずもう以外の何物でもない。

 さくらももこが著作の「ひとりずもう」のなかで高校時代、登校中にいつもの通学路で自転車に乗っていた男子学生を見た時に思わずカバンを落としてしまい彼に一目惚れしたと気づいた。と書いていた。ひとには気持ちを追い越して先に行動してしまうパターンがあり、これはきっと間違えようがないことだと思う。どんだけ否定しても否定しきれない確固たる事実。さくらももこはカバンを落として気づいた。私は四回夢を見て気づいた。私のこの感情は紛れもなく、恋だ。